『どん底に陥った状況からどうやって、這い上がることができたのか。
 大きな理由は、毎日神社でお参りしたこと。
 不思議な話になりますが、大真面目。
 そうすることで今の自分に欠けていることややるべきことが
 どんどん頭の中に浮かんできました。』

これは、小生のインターネット上の知人のコメントです。

小生はこれを読んで、『祈り』について考えざる得ませんでした。

それは7年前の夏、奈良県天理市に天理教の探索の旅に行った時
から始まります。

天理大学の図書館で一冊の本と出合いました。

”人は何のために「祈る」のか  筑波大学名誉教授 村上和雄著 祥伝社”

冒頭に読んだ文章が以下となります。

『宗教を信じていなくても、困ったときや何か強い願いことがあるとき、
 人は思わず祈ってしまいます。
 人間にとって祈りとは実は生きることそのものだからです。
 かつての日本人は必死に祈って生きてきました。
 だから、どんなに貧しくとも、苦しくても、つらくても、いきいき、
 ワクワクと生きられたのです。
 今の私たちは「歌を忘れたカナリヤ」のように祈ることを忘れたようです。』

小生の心に大きく響き、その続きを深く読んでみたいと思いました。
帰宅後、直ぐに地元の書店に注文し、直ぐに手元に届きました。

“人は何のために「祈る」のか”から
『祈りというものを見直してみると、人類は宗教教団が生まれる
 ずっと以前から祈り続ける存在であったことがわかります。
 これは今も変わりません 
 世界の宗教人口を調べてみると、地球に住む約67億人のうち、
 キリスト教徒21億人、ムスリム(イスラーム教徒)13億人、
 ヒンズー教徒9億人、仏教徒4他人、中国の伝統宗教
 (道教、儒教)4億人といわれています。
 残りは他の宗教の信者や無宗教・無神論者ということになりますが、
 宗教を信じていなくても、困ったときや何か強い願いごとがあるとき、
 人は思わず祈ってしまいます。
 祈りに無縁な人間は1人もいない、といっていいでしょう。
 でも、これは不思議でも何でもありません。
 人間にとって祈りとは、実は生きることそのものだからです。』

困った時の神頼み。
小生も無意識の内に合掌して頭を垂れている時があります。

◆“人は何のために「祈る」のか”から
『祈りは願望や請願のためだけにあるのではありません。
 感謝、愛、思いやり、従順、誠意、畏敬のためにも、
 私たちは祈ることができます。
 願望や請願の祈りではなく、感謝や平和の祈りができる人は、
 祈らなくてすむ人よりもずっと幸せでしょう。
 そのような生き方こそ、「ブレない人生」を可能とするものです。』

小生、その時まで、祈り=宗教 であると思っていました。
神に願望、請願、感謝する行為が祈りであると思っていました。

祈るにあたっては、覚悟、努力、誠意、真実等、人間としての
正しい考え方や態度が必要であると思うようになりました。

その報いによって、祈った事が実現し、正しい方向性に進むのだと思うのです。

そのことを実証した方がいます。

京セラ創始者の稲盛和夫さんです。

◆“生き方 稲盛下和夫著”から
『京セラが、IBMから初めて大量の部品製造の発注を受けたときのこと、
 その仕様は信じられないほど厳しいものでした。
 仕様書は図面一枚というのが通常であった時代に、IBMのそれは
 本一冊ぶんくらいあり、内容も詳細厳格を極めていました。
 そのため、何度試作しても、ダメだとはねられてしまう。
 やっと規格どおりの製品ができたと思っても、すべて不良品の烙印を
 押されて返品されてきました。
 寸法精度が従来よりひとケタ厳しいうえ、その精度を測定する機器すら、
 わが社にはないのです。
 正直、これはわれわれの技術では不可能だろうという思いが幾度も頭を
 よぎりました。
 しかし、名もない中小企業にすぎなかった当時の京セラにとっては、
 自社の技術を高め、その名を知らしめるまたとない好機です。
 弱気になる社員を叱咤し、全身全霊を傾けて、やるべきことはすべてやり、
 もてる技術はみんな注ぎ込むようにと指示しました。
 それでもうまくいきません。
 万策尽き、セラミックスを焼く炉の前で泣きながら茫然と立ちつくす技術担当者に、
 私は「神に祈ったのか」と尋ねました。
 人事を尽くし、あとはもう天命を待つほかない。
 そこまで力を尽くしきったのか、と私はいいたかったのです。
 そのような超人的な努力をくり返した結果、ついに恐ろしく高い要求水準を
 満たす「手の切れる」ような製品の開発に成功、二年あまり工場をフル稼働させて、
 膨大な量の製品をすべて納期に間に合うように送り出すことができたのです。
 製品を積み込んだ最後のトラックが走り去るのを見送りながら、私はつくづく感じました。
 「人間の能力は無限だ」
 いっけん無理だと思える高い目標にもひるまず情熱を傾け、ひたむきな努力研鑚を
 惜しまない。
 そのことが私たちの能力を、自分自身もびっくりするほど伸長させる。
 あるいは眠っていた大きな潜在能力を開花させるのです。
 ですから、できないことがあったとしても、それはいまの自分にできないだけであって、
 将来の自分になら可能であると未来進行形で考えることが大切です。
 まだ発揮されていない力が眠っていると信じるべきなのです。』

『祈り』
人間に無限の力を与えてくれるのですね。

『祈り』
人間にとって生きることそのものなのです。

 

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