ラーメン道。ちょっと聞きなれない言葉です。
中村栄利さん43歳。
20年前、ラーメン界の革命児と称され、日本のラーメンブームの火付け役となった人です。
「ラーメンの可能性を追求したい」熱い思いとともに海を渡り、今、アメリカのラーメン
ブームに尽力をつくしています。
彼は、「ラーメン道」という言葉を発しています。
小生、とてもこの「道」が気になりました。
日本は、柔道、剣道、空手道の様な武道もあれば、茶道、華道のような静かな道もあります。
「道」とは、人が何度も同じことを反復して得た最高の善のこと、
技術を磨くだけでなく、人としての成長をめざすことを言う。
ここで、中村栄利さんがやっていることは、鶏の出汁をとるために徹夜して鍋を観察する。
いろいろな人種がいるアメリカ人に、それぞれ合ったラーメンを追求し続け実現する。
(ステーキラーメン、ウニいくらラーメン、スパイシー辛辛ラーメン、多々)
ラーメンは人生そのものである。
極めれば何でも「道」になる。
我々も、「道」と言えるようなことを見つけ、邁進したいですね。
◆ホームページはもう少しで復活しそうです。
http://orinokasa.com/index.html
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ヘリコプターパイロットだった兄の「道」にかかわる遺稿を紹介です。道と路
「しんにょう」は移動の行為を表す象形である。
辷り込むのも巡るのも、達するのも逡(さら)うのも、皆移動の行為や仕様、ある
いは結果だ。
そして道は移動の経路を示す。
その経路になぜ首が着くのかが象形の本意だし、遙かな祖先の情念が込められている。
はるかな昔、まだ甲骨文字の時代に道を行くことは艱難(かんなん)が伴った。
旅に難渋するというような物理的な困難だけでなく、獣や他部族の災いを思い起こさせたに違いない。
その災いを防ぐため、呪詛(じゅそ)として首を供えて道としたのである。
異族の首を埋め、清めたのが道であって、あるいは首を掲げて道を往き、戦の先導をしたかもしれない。
道の境界が県である。県は縣の略字で、紐で首を逆さまに吊った象形だ。
ここにも首があり、古代の民の恐れやそれを逃れるための呪詛が形になっている。
いささか血生臭くはあるが、天地を恐れる気持ちは良く分かる。
境界を巡ればいつかは元の場所に戻り、中には閉じた区域ができる。転じて県の字は地域の意味になった。
だから本場の中国では、もっと狭い地域をさしている。
山西省敦煌(とんこう)県、原義に近いのだろう。
春秋のころ山西省の東南に異族がいて、たえず中原の諸国を脅かしていた。
ところがその族長が魯の国に捕らえられ、首は城門に埋められた。
門は道の起点であり、平安を願う人牲(ひとばしら)にしたのである。
寺院の山門に仁王を請じ、悪霊の入るのを防ぐのと同じ考えなのである。
道は情念のこもった通路だから、武士道とか柔道とか、あるいは茶道のように使われる。単純な地形的象形ではない。
僕の教官はことあるごとに操縦道を説いた。
操縦道の時代はたっぷりと湿気があったから、操縦の試験にエアマンシップなどと、とりたててリキまず済んだのである。
それにひきかえ「路」には機能があっても情念は無い。
もし航空路に呪詛が懸かっていたのではたまらない。
「路」は足で歩く即物的な通路であって、利便を思って知性が生み出したものだ。
朱雀(すざく)大路(おおじ)は真っ直ぐで四角である。
突然だが僕はエアマンというと、皮のヘルメットにゴグルをかけ、皮のジャンパーを着た「飛行機乗」を思い浮かべる。
皮手袋も無くてはならない。
エアマンの具体的なイメージは皮ジャンなのである。さらにはオープンキャノピーだろうか。
いつしかエアマンはいなくなり、空飛ぶ人たちはパイロットになった。
制服の袖に金モールを巻いていたり中にはTシャツの人もいる。エアマンのような焦点のきっちりしたイメージにはならない。
そしてそう遠くない将来、パイロットはオペレーターになる予感がする。
機械が膨らんで、空が希薄になるに違いない。もし無理矢理理屈をつけるなら、道ではなく、路の世界になるのだろう。