昔、昔、東海道本線に夜11時頃東京駅を出発して、岐阜県の
大垣駅に朝の5時頃着の夜行普通列車がありました。
旅人には有名な列車です。
直角椅子の対面シートで、長い休み期間は結構混むんですよ。
小生、初めて乗ったのが、高専の1年生15歳の時です。
友達と京都旅行の時でした。
若いので、寝ないで騒いていたと思います。
何かアルコールも補給しとったような?(丸秘)
横浜、小田原、熱海、沼津、静岡、浜松、豊橋、名古屋と
真夜中だろうと、降りる人もいれば、乗る人もいる。
結構長く止まっているので降りて深呼吸などなど。
大垣駅につくと、顔が油でギトギトになているんですね。
その後、乗り換えて京都へ向かいます。
大垣行夜行普通列車はいったい何回乗っただろう?
たぶん十回は乗ってます。
大垣行夜行普通列車は小生にとって青春の列車なのです。
その後、1996(平成8)年に全車指定席の快速「ムーンライトながら」になり、
更に2009(平成21)年からは春、夏、冬に運転される臨時列車となりました。
そして、JRは2021年冬、臨時夜行快速「ムーンライトながら」の運転を
終了すると発表しました。
利用者の行動様式の変化によって列車の使命が薄れてきたこと、
使用している車両の老朽化がその理由だそうです。
さらば友よ 大垣行よ。
小生、親しい友が去ってしまった様で、とても悲しい気持ちでいっぱいです。
夜汽車は、いつも物語を作ってくれました。
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ご無沙汰、大垣行。
私も、高1の夏休みから合計3度利用しました。朝、7:11 大垣着、7:14 西明石行きに急いで乗り換えた記憶がよみがえりました。暮れの京都に行くときに利用した時は、東京駅で、忘年会帰り?サラリーマンが、終電近いという事もあってか、大量に乗車していた記憶が有ります。また、米原駅のホームに雪が積もっていたのを思い出しました。
その後、大学が名古屋だった事もあり、同期の仲の良い友達が大垣出身という事で、大垣には、学生時代を含め、何度も行きました。水のきれいな街という触れ込みだったかな。また、「奥の細道」の終着地でもあったと思います。
普段生活していると、人生アッという間…と思いますが、この様に何かきっかけになるモノ(今回は大垣行というワード)が有ると、長く生きて来たんだなぁ…と実感します。
昔、予備校の机の上に‘人生‘を微分すると(おっと、今,3/11 2:46 黙祷)
失礼、‘思い出‘って書いてあったのも、思い出しました。
では、お仕事、お励み下さい。
KJ様
お久しぶりだね。
大垣行は、ほんと思い出の列車でした。
’人生‘を微分すると‘思い出‘かあ~。
東北の人たちは、積分の様な気がする。
まだ、3.11が終わっていないではないだろうか?
昨日は、涙なしではテレビが観られなかった。