今のJ-POPって、とても良い歌が多いですね。

若いアーテイスト達は、皆とても歌が上手いし、個性的だと思います。
また、詩を噛みしめてみると、とても文学的で良いと思います。

小生が今、特に気に入っているのは、シンガーソングライターのmilet(ミレイ)。
その中で朝の8時から始まる「羽鳥慎一モーニングショー」 テーマ曲の「Wake Me Up」。
とても、明るくて、爽やか、スタイリッシュで、良いですよ。
毎日の朝、今日一日頑張ろうと元気を貰っています。

ただし、まだ歌はオープンされていなく、発売詳細は追ってオフィシャルサイトで
発表されるそうです。
是非、皆さん、「羽鳥慎一モーニングショー」で訊いてみてくださいね。

さて、朝は朝で良いけれど、夜は月を観ながら、超昔の明治時代の歌を聴いて、
歴史を偲ぶのも良いですよ。

(話の大きなギャップを無理やり結びつけるのが折乃笠ブログです。)

先ず、この曲をお聞きください。
https://www.youtube.com/watch?v=pw33BzS3yAA

日本語の一字一句を情感込めて、声楽家の佐藤しのぶが歌っています。

これは、小生の元上司・宮田様の御紹介です。

たぶん御紹介が無ければ、一生聴くことはなかったと思います。

それでは、明治の名歌”荒城の月”について宮田様の解説をお届けします。

『歌詞の意味について自分なりの解釈をしたものを送付します。ご賞味ください。
 作者の土井晩翠(どいばんすい)がこの詩の中で表そうとしたのは、(変らぬ
 自然と)移ろいやすい人の世だと思います。

 荒城の月の由来
 1898年に東京音楽学校(現・東京芸術大学)から中学唱歌用の歌詞を委嘱され、
 晩翠が「荒城月」を作詩。同校がこの詩につける曲を公募し、瀧廉太郎の曲が
 採用され、1901年(明治34年)に「荒城の月」として発表、『中学唱歌集』に
 収められたそうです。

 荒城の月の歌詞と解釈

 一番
 春高楼(こうろう)の花の宴(えん) 巡(めぐ)る盃(さかづき)影さ
 して千代(ちよ)の松が枝(え)分け出(い) でし 昔の光今いずこ

 春の楼閣(ろうかく=高い建物)の近くで開かれた花見の宴会で取りかわす盃
 の中には(月の)影が映り、千年も年経た松の枝を縫って光が射しこんでいる
 が昔の光は、何処へ行ってしまったのだろう。

 二番
 秋陣営(じんえい)の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の数見せて
 植うる剣(つるぎ)に照り沿いし 昔の光今いずこ

 秋の陣営(軍隊の駐屯地)では(地上に降りた)霜が(月の光を浴びて)輝き、
 (空には)鳴きかわしながら群れて飛んでいく雁の姿が見える。
 (戦いに敗れ矢つき刀折れ)地面に突き刺した剣に(月の)光が照り映えてい
 る。(昔の)栄華は(一体)何処へ行ってしまったのだろう。

 三番
 今荒城の夜半(よわ)の月 変わらぬ光誰(た)がためぞ
 垣に残るはただ葛(かずら) 松に歌(うと)うはただ嵐(あらし)

 荒れ果てた城の跡を照らす夜半(よわ、やはん)の月の光は昔と変わらないだ 
 うが誰のために輝いているのだろう。
 (昔の栄華は跡もなく、権力や権勢の跡もない)残されているのは石垣の葛と
 松に歌いかけている嵐の音だけだ。

 四番
 天上影は変わらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿
 映(うつ)さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月

 天の上にある影(大自然)は変わらずに栄枯が移っていくのが(人の)世の
 姿だ。(こうしたことを伝えようと)荒れ果てた城の上に今も月が輝いている。』

皆さん、如何でしたか?

この”荒城の月”は、以下の様な評価を受けています。
『哀調をおびたメロディと歌詞が特徴。
 七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した楽曲。
 特に、日本で作曲された初めての西洋音楽の歌曲とされ、日本の歴史的に重要な曲である。』

つまり、冒頭で紹介した「Wake Me Up」と「荒城の月」は、100年の時を隔てて、
西洋音楽のメロディが融合した楽曲という共通点があるのです。

あ~疲れた! お~い、山田君、座布団は?

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